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田岡秀昭社長、今まで本当にありがとうございました。

2011年7月1日、私の師匠である森昭木材蠹腸秀昭社長が亡くなられました。

享年60歳、まだまだこれから第一線で活躍される年齢だったように思います。

私にとって師匠であり、嶺北の父であり、自分の人生を変えてくれた本当に大きな存在でした。それだけに、数日間受け止めることもできなかった。そして現実逃避をしていたように思います。

昨日は田岡社長の葬儀であり、本当に多くの方が来られていました。まさに社長の生きた60年の厚みと人柄を現したような最後の場であり、本当にこれほどまで、木を愛し、人を愛した方はいないと思っております。

社長との出会いは5年前、私が大学1年生の時に森昭木材にインターンシップを
した時から始まります。

まさに社長との出会いは私の人生を変えた出会いでした。
今まで林業を学んできて、暗い話が多く、八方ふさがりな産業というイメージがあった。
しかし社長は夢を語り、そして自らもその夢に向かって走っていく背中を見せていく方でした。

その姿に感動し、インターンシップ後に「森の未来に出会う旅」という若手の建築家を対象とした
無垢材の利用を学ぶセミナーを立ち上げたり、カバン持ちとして色々な会や場所に行かしていただき、高知県の地場産業大賞を取った「れいほくスケルトン」の開発の裏側も現場で見せていただいたように思います。

その後も韓国へのスケルトンの営業の同行や東京への環境省へのプレゼンテーション。企業家向けのセミナー等での事例報告や工務店さん向けの産地見学ツアーの案内など本当に多くの経験をさせていただいたように思います。

田岡社長は私に色々なことを任せていただき、多くのキッカケを作ってくれました。
そして自分が失敗しても支えてくれる懐の本当に大きな人間でした。
今の私があるのも、前向きに行動ができるようになったのも、田岡社長との出会いが一番のきっかけでした。大学1年の時に「出会いの大切さ」という人生の中で最も大事なことの一つに気づかせてもらいました。

田岡社長が生前、良く使っていた言葉に「共想」という言葉がありました。

過去に木を植えたものは未来の世代を想い、未来に木を使うものは過去の世代に感謝をして、植林をして未来にその想いを繋いでいく。林業は単なる産業ではなく、共に想い、世代を繋いでいくことを
教えてくれるもの。共想こそ林業。

そしてその木を製材が活かし、設計士、大工が家にしてお施主様に届ける。ここにも共に想うことを共有しなければ、良い家づくりはできない。共想こそ木造建築。

森の未来は木造建築であり、木から考えると何十年もの間、そして様々な方が手を取り合い創る尊いものである。

また「想い」という漢字は「木」を見る「目」を支える「心」と書く。
木を見ていく人にはそれを支える心がないと、良いものはできない。

そしてこのような理念があるのであれば、木造建築を建てる人には
悪い方はいない。木を愛する人には全幅の信頼をおいてよい。

今、考えると田岡社長の言葉の一つ一つには大きな重みがありました。

まだまだ学ぶことは沢山あったのですが、これからは私たち生かされた者がしっかりと田岡社長の歩かれた軌跡の上に新たな道を付けていかなければいけません。

田岡社長を亡くした嶺北林業、そして高知県の林業は本当に大きな転換期を迎えるように思います。

ただ私は田岡社長の元で学んだ弟子として、少しでも高知、そして日本の林業に貢献できる
ような人材になっていきたいと思います。

「田岡秀昭社長、今まで本当にありがとうございました。あなたから学びたいこと、聞きたいことはまだまだ沢山ありました。こんなに早い別れになるとは思わず、本当に驚いていますが、最後まで走りぬき、そして苦しみながらも人と森を想っていたあなたを本当に尊敬しております。つらかったでしょう。悔しかったでしょう。最後まで私に学びをくださり、本当に感謝をしております。以前、私が就職活動に悩んだ時に森昭木材に就職させてくださいという相談を持ちかけましたね。その時にあなたは森昭の営業になるのではなく、もっと大きな視点で物事を見て、日本の林業を変えて欲しいという言葉をくださりました。今考えると本当に私のことを想い、そして期待したくれたあの言葉に頭が上がりません。今、自分の力不足に悩む場面もありますが、あなたの残したものをしっかりと引き継ぎ、あなたを越えれるように日々精進し、そしてあなたの目指していた森と町の共想ために、人生をかけていきたいと思います。天国からその笑顔で見守ってください。来年の7月1日には生前にあなたの好きだった桂月を持っていきます。一杯やりましょう。感謝。」

この数日間、私のことを気遣いご連絡をいただいた皆様、本当にありがとうございました。
皆様の一つ一つのお気づかいのご連絡に本当に助けられました。

まだまだ甘い私ですが、これから田岡社長の想いも背負い、しっかりと歩みを進めていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

井上将太

| 井上 将太 | - | 21:06 | comments(6) | trackbacks(2) | pookmark |
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コメント
ほんと、残念でなりません。


将太くんのように、一緒に仕事したわけではないけど、
たまに一緒に飲む時に、夢を語ってくれました。
惜しい方を亡くしたと、考えてしまいますね。


秀昭さんの意志を引き継ぎ、嶺北の、高知の林業のためにも
将太くんの更なる活躍を期待します。
| マスオ | 2011/07/07 10:06 PM |
井上様 こんばんわ。香川県の清水設計です。生前、田岡様から井上様のことをお聞きしていました。私達、設計士の出来る事。これからのれいほくの事。ぜひ一度、お話を聞かせて下さい。「街に森をつくる」田岡様の気持ちをつないでいきたい。四国の木を使って今後もいい家造りをしたいと思っています。
| 清水設計 | 2011/07/10 11:03 PM |
マスオさんへ

末広さん自身パートナーのように本当に仲良くされていましたものね。
本当に今回は残念ですが、田岡さんの分も嶺北地域で盛り上げていきましょう。これからもよろしくお願いします。
| しょうた | 2011/07/11 8:01 AM |
清水様

ご連絡ありがとうございます。今回のことで産地としてどのように生き残り、動いて行くのかという部分が浮き彫りになりました。議論を進めながら方向性を出さなければいけないと思います。またこれからもよろしくお願いします。
| しょうた | 2011/07/11 8:05 AM |
昨年「森の未来に出会う旅」はお世話になりました。
田岡社長には熱い思いもお聞きすることができました。
まことに残念に思います。
ご冥福をお祈りいたします。
わたしの知り合いの西森さんも亡くなって
さびしい限りです。
将太さんの今後の活躍を期待しています。
| HowbankMASA | 2011/07/20 10:53 AM |
はじめまして。
突然のメールで失礼します。

森昭木材さんの田岡さんに仕事で材木を依頼していた神奈川県の設計事務所の者です。見積とプレカット図が出来ていた段階でしばらく音沙汰がなく、今朝、見積先の工務店より、田岡さんが亡くなられて、会社を締められたことを聞きました。

東京のレイホクスケルトンの見学会で知り合い、田岡さんの未来を語るお姿に本当に良いものを作ろうとしている方だとお見受けし、遠方ですが高知県産材を使わせて頂こうと思っていました。

亡くなられたこと、しかも一ヶ月も連絡がなかったことに二重のショックを受けています。
会社の方も電話が通じないようです。

いろいろと検索していて、井上さんのページにたどり着きました。辛い出来事ですが、良かったら田岡さんのこと、詳しく教えて頂けないでしょうか。
(直接メールもらえると助かります)

予定していた現場の着工を目の前にして、状況がつかめず、また工務店さんは、私の紹介だった為に他の材木屋さんには声をかけておらず、この先どうするか、悩ましい状況です。


田岡さんが亡くなられた事実は変えられませんが、残された私たちに何が出来るのか、どうしたら良いのか、手探りするためにも、情報を頂けないでしょうか?

よろしくお願いします。





| 柿本美樹枝 | 2011/08/03 11:45 PM |
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